2016年09月03日
2つの夢が叶った日 UTMBに参加してきた
長い旅がようやく終わりました。
今は右ヒザの痛み以上に安堵感と感謝の気持ちでいっばいです。
職場、仲間、家族に本当に感謝です。
初めて見た白いチョークのような土と乾燥した空気
いつもの樹林帯と腐葉土の香りはまったくしない場所
周りにあるのは、巨大な体に大きな羽を広げたような山容を持つ連峰
そう、ここは、第1回冬季オリンピック開催の地でも有名なモンブランの麓の高級リゾートスキー地区シャモニーなのである。
今、ボクはUTMB(旧名:Ultra Trail du Mont-Blanc ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)に出場するために遠路遥々、この地までやってきた。
いつの頃だろうか、UTMBに出たいと思うようになったのは。鏑木さんのDVDを見てからなのか、はたまた雑誌を見てからかは定かでないが、一度海外の絶景の中を走ってみたいと、いつの頃からか思うようになっていた。
出場するには国内で多くのレースを経験したうえで抽選が必要。年々必須ポイントが向上するため、なかなか資格が得ることができなかったが、2016年にようやく手にした出場権であった。
というものの、一年ほど前から左ヒザを痛めてしまい、今夏になってようやく痛みが治まったが、一年のブランクによる筋力低下、脂肪増加は否めなかった。

UTMBはシャモニーのサン・ミシェル教会からスタートし、モンブランの周りを反時計周りに170km 累積標高10,000mを46.5時間でフランス、イタリア、スイスの3カ国を渡り、再度、サン・ミシェル教会に帰ってくるレースで、トレイルランニングの中で最高峰といわれるレースである。
いわば、トレイルランニング界のオリンピックといったところか。
コースはTMB(Tour of Mont Blanc)といわれるトレッキングコースを主体に設定されており、完歩するのに通常、7日〜10日程度を費やすコースなのである。

街のシンボルであるサン・ミシェル教会の前に各国の2300人以上が集結する。
熱気ムンムンの中でスタート前にテーマ曲の Conquest of Paradiseが流れる。
映画1492でコロンブスがアメリカ大陸を発見した冒険のように、自身の挑戦を讃える壮大な曲。
流れている間、完走するぞと自分に言い聞かせる。

頭上にはヘリコプターにドローンが飛び交う。
スタート・ゴールゲートの向こうには大観衆が集まっている。UTMBのスタートを見ようとする観戦者の数は想像以上でびっくりである。
まるでツールドフランスのゴール会場のようだ。
今年はカウントなし?でいきなりスタート。
少し拍子抜けした。
トップランナーであれば駆け抜けるスタートだが、大半のランナーは大観衆の中でゆっくりとスタートする。
1km以上はALLEZ! ALLEZ!(アレ、アレ:頑張って頑張っての意)の大声援、カウベルや子供達のハイタッチの嵐。
まるで戦から凱旋してきたようかの雰囲気の中からスタートするのは国内のトレイルランニングのレースにはない気持ちのいいものであった。
先人の完走者のアドバイスにより、序盤は追い込まずにゆっくりとレースに入る。
Saint-Gervais(サンジェルベ:21km)まではヘッデンを付けずにのんびり行こうと考えていた。
最初の山であるDélevret(デルヴレ:13.8km)の山頂直下からの下りの路面は草が多くスリッピーだと聞いていた。
噂どおりにサーフェスは草で、確かに天候が悪く、濡れているとかなりスリッピーになりそうで序盤からケガリスクを孕むが、今回はドライのため問題はなかった。
今回のシューズはクッション性能の高いsalomonのSENCE PROPULSEをチョイス。
このシューズはロード向けだが、意外とグリップできるシューズで、草の上でもスリップなく通過することができた。
Saint-Gervaisのエイドまではヘッデンは未装着だったが、途中で樹林帯があり、薄暗い中を走るのが億劫な方はヘッデンを点灯しても良いと思う。
最初の大きなエイドであるSaint-Gervaisに到着すると既にゴールかと思うほどに盛り上がっていた。
ほんとここでレースを止めてもいいくらいw
ボクは補給食をそれほど持ったない主義なので、各エイドで給食をたくさん頂くこととしていた。
Saint-Gervaisでもオレンジにバナナ、噂の塩辛いスープ(意外に美味い)をお腹いっぱい頂き、先を急ぐ。
なお、UTMBはCourmayeur(クールマイヨール:78.8km)までの関門が非常に厳しい。特にLes Contamines(コンタミン:30.7km)までは相応に急ぐ必要がある。
故に序盤でゆっくりは禁物である。
Les Contaminesは最初に仲間のサポートを受けられるエリアであるが、この時点のサポートはないので補給のみで通過。
最初に辛く感じたNotre Dame de la Gorge(ノートルダム・デュ・ラ・ゴルジュ:34.6km)からの登り。
ここは石を敷き詰めたようなサーフェイスで少し趣が異なる。調べてみると古代ローマへの道だそうだ。
ここから本格的に登り体制になる。
La Balme(バルム:38.8km)エイドに近づくと、Col du Bonhomme(ボンノム峠:42.2km)の稜線ギリギリに位置する低い三日月に約1000個のヘッデンが月を突き抜けているように並んで見えた。
長い登り、進んでも進んでも目標の峠が見えない(;´Д`A
巻いて巻きまくるTMBのコースは有名で、さらに山が奥深いため、下からはチェックポイント等の位置が把握できない。
晴天だと日中は暑いのに、夜は放射冷却で寒い。元気な外国勢は半袖やノースリーブで夜間を走破する強者もいるが、我々ではやはりジャケットが必要。加えて、稜線上となるBalmeエイド以降では風がでてくるため、体温の低下を防止するため、多少暑いがレインウェアの上着とグローブをこの時に装着した。
意外長く感じるCol du BonhommeとRefuge de la Croix Bonhomme(ボンノム避難小屋:44.2km)。
渋滞までは行かないが、結構の数のパックの中から抜け出せないので、ややストレスが溜まった。
ようやくLes Chapieux(シャピュー:49.4km)に到着。ここで装備チェックを受ける。エイドで補給している間に身体がものすごく冷えたため、ユンケル皇帝液顆粒を飲んでカフェインのインストールと保温に努めた。
次は前半のメインであるCol de la Seigne(セイニュー峠:59.7km)に向かう。
真っ暗で周辺の景色は景色はわからないが、ゆっくり粘ってCol de la Seigneに到着。
さぁ、イタリアに入ったぞ。

Col de la Seigneを下り始めると目の前に三角形の綺麗な山容が見える。
一旦200m程降せられ、目の前のCol des Pyramides Calcaires(ピラミッドカルケーラ峠:62.1km)へV字に進む。
ピラミッドカルケーラの山はガレた岩でできているようで急に足場が悪くなる。
加えて、残雪があり雪渓を2度渡った。ボクはロードシューズのため、ここは慎重に進む。
ここで少し疲れが出たので補給ついでに立ち止まった。
Col des Pyramides Calcairesを超えると朝を迎え、雲海と御来光のご褒美が貰えた。
これはラッキーでみんな立ち止まって写真を撮っていた。

Col des Pyramides CalcairesからLac Combal(コンバル湖:65.8km)まではガレたシングルトラックの好きでない下り。斜度はそれほどでもないが浮石もあり注意しながら下った。
山を降りると雲海の下にあったのは、DVDを見て憧れていた湿地帯のLac Combal。
丁度、早朝ということもあり、ヘリコプターが頭上を旋回しており、きっと撮影していたんだろう。
ヘリに手を振りながらフラットの林道をひたすら走る。
とりあえず、Lac Combalエイドは雪解け水が流れ込んでくるのか非常に寒かった。
Col des Pyramides Calcairesからの下りではレインの上を脱いだが、Lac Combalエイドで冷えたので、我慢せず太陽が完全にあがるまでレインを再度着ることにした。
Lac CombalからAréte du Mont-Favre(ファーブル山尾根:70.1km)までの取り付きは超が付くほどのフラット。
上から見ると綺麗なんだろうけど、走っているだけでは周りは単なる湿地帯でつまらない。
憧れていたビューポイントだけにすこし残念だった。
しかも高度は低いものの、朝方の低温のため、震えながら走った。
徹夜明けの眠気からかボーとしながらジョグしていると、不覚にも大ゴケしてしまいド・フラットな林道にヘッドスライディングし、右ヒザを岩に強打してしまう。
恐らくLac Combalへの下りで相応の体力の消耗もあり、つまづいた瞬間を耐えきれずに転けたんだと思う。ヒザからの出血があったものの、幸いなことにここでは痛みはなかった。
Aréte du Mont-Favreに上がると次第に体温が上昇してきた。頭上は晴天、雲もない。2日目もまた暑くなるだろう。
Aréte du Mont-Favreチェックポイント付近で、写真を撮ってくれる日本の女性の方がいた。毎年おられる方だと思う。横に見えるのがモンテビアンコ(モンブランのイタリア読み)だと聞いてなるほどと納得した。
モンテビアンコが過ぎれば、あとはオール下りでCourmayeur(クールマイヨール:78.8km)だ。
しかし、ここの下りもイヤーな感じ。シングルトラックでチョークのようなフワフワの砂。接地を感じにくく下肢に負担がかかる。ここもパックに、はまり好きなタイミングで下れなかった。
Courmayeurに到着した時はすでに日があがり暑かった。ここではTDS完走した後の、にのりさんのサポートを受ける。あまりにも居心地よくて1時間滞在してしまうが、外気温が高いので、身体の冷却を含めてこの時間はOKだったかと。
ここまで想定どおりの時間で来れたので、ここからは、一段だけギアアップして後半に繋げるつもりだった。
シューズはmontrailのBAJADAに履き替える。結果は選択ミスで後半の方がロードシューズに適していた。ここでソックスと上着も交換した。
Courmayeurから登りは、斜度が最もきつく感じるRefuge Bertone(ベルトーネ小屋:83.7km)への登り。ここはUTMBの中でも貴重な樹林帯の中であり、日差しによる疲労は感じない。
登り終え、Refuge Bertoneを過ぎると、目の前には超ド級の戦艦か、トゲトゲの背を持つクジラとでもいうかものすごい山脈が目の前を塞ぐ。これが、憧れのグランドジョラスかと感動。

肉眼で見たグランドジョラスはかっこよかった。
この北壁を登った長谷川恒男さんはどんな奴なんだとツッコミたくなるほどの大きさだった。
しかし、ここに来てLac Combalで転倒した右ヒザの痛みが発生してきた。
Refuge BertoneからRefuge Bonatti(ボナッテイ小屋:91.0km)、Arnouvaz(アルヌーバ:96.2km)まではずっとグランドジョラスの絶景と並走する貴重なフラット及び下り区間。ここである程度タイムを稼ごうと思っていたのに、まさか走れなくなる事態になる。特に下りは少しの斜度でもまったくダメ。
自身の体調を含め、残り約90kmをどうするか考えた。
まずはRefuge BonattiからArnouvazまでの下りの対処方法。
エマージェンシー用にロキソニンを2錠持っていたので、1錠をここで服用することにした。
加えて、必携品のバンテージでヒザをグルグル巻きに固定した。しかし、ヒザの痛さはさほと変わらなかった。
Arnouvazの下りをトボトボと苦虫を潰した顔で進んだ。これからの後半はキツく長いパートが多いので、先に進むかリタイアするかの苦渋の選択となった。
Courmayeurから後半パートは比較的関門が緩くなることと、飛ばさなかったが前半の貯金がある程度残っていること、歩いているので体力は残っていること。
自身でかなりの葛藤はあったけど、関門で落とされるのは仕方がないが、自らUTMBを拒否することはしたくなかったので、前者を選択した。
もう諦めずに進むだけだ。
満身創痍で到着したArnouvaz。エイドの救護室に駆け込み、拙い英語で処置してもらう。
痛み止めの薬も欲しいと懇願し一回分だけをもらった。ここからゴールまで白いぐるぐる巻きのテーピングとともに旅をしなくてはならないと心に決めた。
痛み止めはこの先で使おうとこの時は飲まずにそっとエマージェンシーの袋に入れた。
Refuge BertoneからArnouvasまで3時間ずっと太陽に当たりっぱなしだか、スピードがでていないため体温の上昇は避けれ疲労感はなかった。
しかし、次の大ボスのGrand col Ferret(グランコルフェレ:100.7km)は大きな登りと下りがあるところ。
幸い痛めた右ヒザは登りで痛みが出ないので、西日で背中がジリジリと熱い中、ガツガツ登ることができた。
日焼けによる体力消耗を避けるため、BuffをSAHARIANEという方法で首筋の面積を最大限に隠した。

DO RAGよりも白の面積が増やせ、首に密着し、下部まで被うことができる。
思ったより意外にGrand col Ferretは簡単に登れたが、まったくもって下りは痛く進めない。ちょっとした下りもダメ。カニ歩きなら何とかといった状態で進むことに。


Grand col FerretからArunouvaz方面に振り返った画(中央の谷がArunouvaz)
ここでArnouvazでもらった飲み薬を服用した。あとロキソニンが一つだけだ。
Grand col Ferretから先はスイスに入国だ!
しかし、登りで何人も抜いたのに、下りで何十人、いや、百数十人には抜かれただろう。
かなり自分にイラっときていた。
唯一の救いだったのが、La Fouly(フリー:110.1km)エイドで、にのりさんが待っていくれることだけだった。
痛みがとれなくても、軽減できるアドバイスを貰えることを期待をして、半べそをかきながら無我夢中でLa Foulyに向った。
Grand col Ferretから這々の態でLa Foulyに到着し、にのりさんの手厚いマッサージを受ける。
ほんとドロドロの脚に対し必死に処置してくれる姿に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
根本的に痛みはとれないけど、ここで前に行く気持ちを更にもらう。
次のChampex-Lac(シャンペ湖:124.1km)までは意外遠い。長い登りに加えて日が暮れて雷雨になりだしたこともあり、先の見えない状態で心が折れそうになる。今回、一番辛かったのはなぜかLa FoulyからChampex-Lacの区間だった。
激走モンブラン2009年で鏑木さんがスコットジュレックを追い越す名シーンのポイントも走れない激痛で感動すらできなかった^^;
La Foulyに続いて、Champex-Lacでも手厚いマッサージを受けた。
ここからゴールまでのラスボスの3つ山に費やす時間は15時間と想定していたが、自身の状況を冷静に鑑みると貯金をすでに食いつぶしていることはすぐにわかった。
最初の山に取り付くが長い巻道で精神的にやられる。時間がない。残りの2つの山にどれほどの時間がかかるのかわからないため焦る。
結局、まったく下れない脚で、Champex-LacからTrient(トリアン140.6km)までに5時間もかかってしまう。
これでは時間的に完走が危ないかもとよぎる。ラスボスのTête aux Vents(テットオーバン:158.6km)からゴールまでは長い下りで、その分の余力を手前のTrient〜Vallorcine(バロルシーヌ:150.9km)の2つ目の山で獲得する必要ある。とりあえず、にのりさんの処置を止めて、Trientでは補給は何もせずに飛び出すが、なぜか携帯電話をエイドに忘れる失態を犯してしまう。エイドまで取りに帰って20分のロスを費やす(;´Д`A
2つ目の山は思いのほか小さくCatogne(カトーニュ)までを簡単にクリアできるが、下りは相変わらずダメ。
ほんとボロボロでラスボスのTête aux Ventsの手前のVallorcineに到着。
普通なら関門に追われる時間でもないが、現況を冷静に分析すると下りに数時間かかる可能性があるため、エイド食を食べるだけ食べて脱兎のごとくエイドを飛び出す。
Vollorcineを出ると大きなマフィンに生クリームを上に乗せたような独特の山容を持つ山が立ちふさがる。
標高図をみるとCol des Montets(モンテ峠:154.6km)からさらに斜度が上がって登ることになっている。
即ち上まで登るということか。(実際は中腹をトラバースしたが山容と標高図を見ると心が折れた)
Tête aux Ventsの下部にあたるCol des Montetsは2009年激走モンブランでキリアンがガレ場の長い下りを猛スピードで突っ込んでくる撮影場所だろう。
どうやら、この峠は観光地のようで様々の登山客に混じり、選手は九十九折を登山道を登る。
パックの先頭になって引っ張る。
というかこのタイムゾーンなのでケガをしているといっても走力差で引っ張らざるをを得ない。
なんといってもボクには下る時間が他の選手より時間がかかるんだと。
登り終えると山をぐるっと巻き道に入る。
この道は北アルプス等によくある大きな石がゴロゴロとあるが比較的走りやすい。
しかし、下りという下りはまったくダメ。フラット区間をゆっくりジョグするのが精一杯。美しい景色なのに目の前は絶望しかみえない。
ここでありったけのジェルとグミを投入して、最後の頼みの綱のロキソニン一錠を投入した。
Col des Montetsからずっと日差しに当たりっぱなしで、水切れが心配になる頃にTête aux Ventsのチェックポイントを通過でき、ペットボトルの水を補給してもらう。
あの水はどうやって運んだのか不思議。ここまでヘリで運搬したのかなぁとどうでもいいことが心配になる。
そこから最終エイドのLa Flégère(フレジェール:162.2km)までが遠かった。
大した距離でもないが走れないボクにとっては時間だけが過ぎるストレスが溜まる区間だった。
ようやくスキー場のリフト乗り場のLa Flégèreに到着する。
最後のひと登りをすると、あと7kmのダウンヒルだといわれるが、林道のように巻いていく脚が残っていれば走りやすい下り。
今の自分には一番恐ろしいタイプの道で、一歩が痛いなら、鎖場や階段で下降する方が痛い回数は少なく、林道で巻かれると距離が長い分痛い回数が増加する。
自暴自棄になりながらトボトボと時間を気にしながら下山する。
エイドの出発の時に、ゴールで待っている仲間などに連絡をした。
ようやく見慣れた街に帰ってきた。
La Flégèreから下りてくるだけで手元のAmbitで6km、2.5時間もかかった。情けない。
ゴール手前1kmはものすごい観客の中を通過する。
時間的には決して自慢できるタイムでないのに、ブラボー!ブラボー!とフィニッシャーのボクらに対しての声援がすごかった。
トップ選手でも下位の選手でも賞賛をしてくれた。
ゴール手前の噴水を曲がる時に大勢のラン仲間が待っててくれた。
大声援の中、既にずいぶん前にゴールしているKaoriちゃんと並走して、ゴールゲートに向かった。

沿道の方々の声援に、メルシー!メルシー!と応えるとなぜか大粒の涙がこぼれた。
感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。
そして、ボクの2016年の長く辛い夢の旅はここで終わった。
激痛モンブラン 了
同じ日にもう1つ夢が叶った。
ラン仲間である丹羽薫がUTMBという特別な舞台で8位で入賞したのである。
まだ、無名であった頃からの仲間として、たくさんの努力を端で見ていて、いつかこの人が世界を相手に戦えるときがきて欲しいと願っていたのが、この時に現実となった。
表彰台でひときわ小柄なこの女性が、並み居る強敵と対等に戦って、成績を残せたのだと思うと感慨深く、そしてホッとした何かを感じた。
"KAORI NIWA"と名前を呼ばれ表彰台に上がるとき、ボクらは周りの外人達よりも、ひと一倍大きな拍手を送った。

丹羽薫(左から2番目)
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Posted by わっきー at 21:01
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